心低愚現(しんていぐげん)症候群の現れ
心低愚現(しんていぐげん)症候群の現れ
天然自然を大切にしようという動きが「エコロジー」という名目で、世界的に動いております。
そこでこんな記事を目にしました。
朝日新聞 平成22年10月20日記事
「SATOYAMA」連帯
【国連地球 生きもの会議】 各国政府など自然との共生探る
世界各地の「里山」をつなぐ国際ネットワーク「SATOYAMAイニシアチブ国際パートナーシップ」(IPSI)が19日、名古屋市で開かれている国連地球生きもの会議で発足した。
SATOYAMAを世界に広めたい日本政府の働きかけで、各国政府や地方自治体、NGO、国際機関、企業など51団体が参加を表明。日本の里山のように人と自然とが共生する知恵を共有し、世界に発信して行く。
日本の里山では、人が燃料に使うために定期的に木々を伐採するなど、農林業の営みを通じて独特の景観や伝統文化を育て、豊かな生態系も育んできた。世界でも、スペインやアフリカ諸国、韓国、ペルー、フィリピンなどで、自然を維持しながら利用する例がある。
(中略)
日本や世界の「里山」の多くでは、過疎化や高齢化で人の手が入らなくなり、景観や生態系の荒廃が進んでいる。自然と共生してきた優れた事例を世界に広めるとともに、維持管理の知識・技術を次世代に伝える人材育成や、現地活動の支援も進める。
生物多様性条約事務局のジョグラフ事務局長は「自然との共生は、それぞれの国や地域の文化と切り離せない。このすばらしい取り組みを根づかせ、生態系の保全につなげてほしい」と話した。(記事終わり)
一見、大変素晴らしいように思えましたが…
「何か忘れてないかな〜」と思えてなりません。
新聞の記事ですので一概に言えませんが、天然自然と共生する知恵は、なんで生まれたのかな〜と。
私達の祖先は、稲を作れば干ばつ起こらないように祈り、山に入る猟師は必要以上に猟をすることはなかったと、以前教わりました。
天然自然の災害は身近で、一度大きな災害が起こると防ぐ手立てをしようにもその手段は無く、その災害がおさまるのを待っていたとも聞いています。このように私達の祖先は、天然自然に対して畏怖と敬愛をもっていたからに他ならないと思っております。
その人間ではとてもはかることの出来ない天然自然を相手に、畏怖と敬愛をもっていたからこそ、天然自然の中で人間が生きて行く為に知恵を働かせそれを生かして今に残してくれているものと思います。
最近では、奄美大島で短時間の大雨で大きな被害がでました。
いくら技術が進歩しても天然自然の災いに対して技術だけでは生きていけないことを立証しているように思えます。
私達の祖先が残してくれた知恵は、天然自然に対して畏怖と敬愛から生まれてきた、言い換えるとそのような心を持ってたからこそ知恵が生まれ、生かしてこれたと思っております。
維持管理の知識・技術だけで共生なんてはかれるのでしょうか?
その肝心要(かんじんかなめ)な心の持ち方に焦点を置かないで、本当の「里山」復活になるのでしょうか?
国内で「里山」がすたれているのは、その心を養う教育をされていないからと思っております。
心を養うことを忘れている私達は、いつのまにかその病にむしばまれ、自分で自分達の首を絞めているように思えてなりません。
心低愚現症候群は、本当に恐ろしい病です。