古き良き日本(とある物語)
約100年くらい前の物語です。
当時、明治維新後の日本は世界各国から不平等条約を受け入れざる得ない状態でした。
日清戦争で勝利したものの、独立国としては危ない状況でした。それはロシアの南下政策による国難を迎えていたからです。(ロシアは港が凍ってしまうために、不凍港を求めておりました)
朝鮮半島で影響力を増していたロシアに対して国防のため日本は日露戦争をせざるをえませんでした。
その日露戦争時に、こんな物語があります。
日露戦争時、とある場所でお爺さんと息子が農業をしておりました。二人は荷車を曳いてあぜ道を進んでおります。息子は足が悪いらしく、荷車を押す体もきつそうです。
そこにある偉い兵隊さんが通りました。親子は道端に寄って兵隊さんに道を譲りました。すると兵隊さんは「お爺さん大変そうですね〜」と声をかけました。
するとお爺さんはこのように答えたそうです。
「今は戦争で大変な時なのに、息子が足を悪くして戦地に行くこともできず申し訳ありません」と…
その偉い兵隊さんは、その場を後にしそばにいる従者を呼びました。そして金子を包んであの親子に渡すように命じました。
そして偉い兵隊さんは次の歌を詠みました。
国思ふ 道に二つは なかりけり 軍(いくさ)の庭に 立つも立たぬも
その偉い兵隊さんは実は明治天皇でありました。
日露戦争は国民が一致団結して国難に立ち向かった戦争でした。日本が存続するかしないかの国難でした。
この物語は、農民は農民の道義がありたとえ高等な教育を受けていなくても、大切なことを教えていたという事実です。このときはまだ武士道がまだ生きておりました。
意外と知られていない言葉があります。
「井の中の蛙(いのなかのかわず) 大海(たいかい)を知らず」
特に都会を知らない田舎の人を表す言葉で使われますが、次に続く言葉があります。
井の中の蛙 大海を知らず されど天の高さを知る
今の私達は「ふるさと」を忘れてしまっているのではないでしょうか。