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誠を積みかさねる

誠というのは様々に変化をして行きます。


漢字も多くあります。


 


誠(まこと)=真(まこと)=信(まこと)=実(まこと)


 


全てイコールですが全てに共通する事があります。


「真実」という事です。


 


「誠を積み重ねる」という言葉があります。


これは自らの経験や体験を積み重ねるという意味でもあります。


 


時代劇で「そなたの誠は・・・」という台詞がありますが、


それはその人の心の事であり、誠=心という事です。


 


「それは誠であるか!」という台詞がありますが、


その誠は真実であるかという事です。


 


日常生活の中で誠を積み重ねて行くと、様々な事が見えてきます。


相手の気持ちや心がわかってきます。


お年寄りの話を聞いていると、そのお年寄りの昔の苦労した時の話題が上がります。それはその人の誠であります。その誠を自分事として聞いていると、経験や体験をせずともその誠が身につき、その誠が自らを助けてくれる時があります。


 


誠とは言・成と書きます。


言葉がなるという事は、意が成るという事でもあります。意というのは心であり、誠でありますので、誠を大切にしていると、人から信用される人となります。


 


誠は大変奥の深い言葉です。


誠という言霊は、様々な形で変化をして相手の心に届くと共に、自らの心にも留まります。


 


人は生きている限り誠を重ねて行きます。


良い誠を積み重ねて行くには、善行や陰徳が必要です。


 


お年寄りと接していると、このような事も知らずに教わる事に気がつきます。


「自分を大切にしなさいと」とお世話になっている方から助言を頂きました。


自分を大切にする事は、自分を取りまく全ての人達を大切にする事が必要です。


その中から誠が磨き上げられ、誠が光輝くものになって行きます。


 


そのような誠を持っている人には、似たような誠を持っている人が近づいていきます。


そのような人は多くの言葉を語らずとも、知らず知らずの家に誠どうしが相対し、お互いを認めて行くものであります。


 


 


今の日本人は、お年寄りを大事にしていません。


お年寄りを大切にするというのは、高齢者医療を充実させたりする事ではありません。


自分達の家族を含め、周囲のお年寄りを気遣ってあげる事です。


自分が小さな頃、近所のおじいさんやおばあさんにお世話になった人も多いはずです。中にはこっぴどく叱られたりした人もいると思いますが、叱られる事で多くの事を学ぶ事が出来たと思います。


お年寄りから学ぶ事は多くあります。そのなかで良いことも悪いこともあります。


人の一生の中で、様々な生き方や人生があります。その経験や体験の話を聞くだけで多くの事を学ぶ事が出来ます。学ぶ心を持って話しをすれば、話し手の記憶の引き出しを引っ張り出してきて、その人が求めているようなお話をして頂けるものです。


人の歴史から学ぶ物が多くあります。それを生かす事で誠を積み重ねる事ができます。


 


誠を積み重ねる事で、充実した人生を送る事が出来るといいですね。

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言霊(ことだま)

日常生活を送る上で、必ず会話があります。


 


その中で特に印象に残ったり心に残ったりする言葉があります。


それが言霊です。


 


言霊は、相手の心に届き響くものです。


聞き手に対して響くような気持ちで話をしていればそれが伝わるものです。


 


言霊は更に時を超えて行きます。


 


先人が詠んだ自生の句や、俳句、短歌、様々な名言などは、言葉に魂が宿るがごとく時を超えて今でも光輝くものであります。その言葉から多くを感じ取り、様々な局面で生かす事が出来ている人も多いかと思います。


 


日常会話の普通のやりとりであれば、唯の言葉が多いのですが、何かを伝えたい、届けたいという思いが強ければ、それが会話であろうが、手紙であろうが、メールであろうが読み手の心に届く物であります。


 


その言葉の中に誠意があれば伝わるものと思います。


 


言霊は言葉に魂が宿るという意味ですが、魂というのは形のない見えない生命体のようなものです。


人には魂と心がありますが、両方が等しくなければ、相手に言霊を伝える事が出来ないと思います。


 


心を学ぶ事は、言葉を学ぶ事であり、魂を学ぶ事でもあります。


魂はあらゆる物に存在し、空間を行き来しています。


特に日本語は言葉遊びがあるように、同じ単語でも漢字(感じ)を変えたり、発音を変えてみたりする事で全く意味が違うものになります。


 


昔の日本の人は、この言霊のような魂を感じ取る事が出来ました。


しかし、戦後の教育の影響からか、日本人である大和心と魂が抜けてしまい、善悪の判断や自らが正しいと思い込む傲慢があり、これらの(言霊=気=感じ)を感じとる事が出来ない人が増えてしまいました。


特に自分の利益しか考えなく、人の幸せや人の痛みがわからない人が増えてしまいました。


 


素直な心と敬神の心を持ち続ける事で、これらの言霊を感じる心を養う事が出来るものと思います。


 


言霊というのは、心の入った言葉であり、魂でありますので、人の命と同じように大切なものです。


上句(ジョーク)であれば良いのですが、軽はずみな発言で人を傷つけたり攻撃をする事はもっての他です。


 


この事から、自分の思っている事を口に出すと、その相手にその思いが届いてしまいます。良い印象を持っていればそれが届きます。悪い印象を持っていればその思いも相手に届いてしまいます。


 


自らの心を律する事で、良い思いと良い言霊が相手に届くような生活を送って行きたいのもです。

放射能の検査も各個人が行う時代になりました。


食品放射能汚染、市民が計測=コメや魚、都内に測定所


【時事ドットコム:2011/12/14】

放射性物質による食品の汚染度を測る「市民放射能測定所」が14日、東京都世田谷区に新たに開設された。コメや魚、加工品など店頭に流通している食品をボランティアらが測定し、結果をホームページ上で公表する。


 市民放射能測定所は7月、福島県内で地元住民により設置された。福島には9カ所の施設があり、住民が持ち込む農作物を中心に測定。運営費は1回数千円の測定料金などでまかなっている。


 世田谷区の測定所ではベラルーシ製の装置1台を用い、主に流通品を調べる。わずかな放射性物質も検出でき、より精密な測定が可能なゲルマニウム半導体検出器も来年導入する予定だ。(記事終わり)



記事リンク
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011121400901




世田谷区は以前から放射性物質が発見されている報道が多くあります。


これは世田谷区に放射性物質がたくさんあるというのではなく、調査している市民の方々多くおられるのではないでしょうか。


政府・行政・東京電力が信用できない故のボランティア。


チェルノブイリの事故の例を見れば、放射性物質が人体に対して悪影響を及ぼしているのは周知の事実で、生涯の被曝数量がその目安となっているようですが、人体は人によって違い一概にこの数値だったら大丈夫だと言えないことも専門の医師の方が発表しております。


野菜やお米など陸で採れるものだけではなく、海の産物もこれから汚染状況が明らかにされていくと思います。


チェルノブイリに事故ではその約半年後から海産物に対する影響が確認されております。


しかし、検査をしているスーパー等は少なく、また産地偽装も頻繁に行われているのであれば、自分で検査するしかありません。


何だか日増しに、マスコミでは放射能汚染に対する記事が少なくなってきているような…


食品に関してはこれからが正念場!


平和ボケにも程がある。

赤穂浪士の遺書

「手柄立てて死ねれば幸せ」 赤穂浪士の自筆?遺書発見
【産経新聞:2011/12/14日】


 元禄15(1702)年12月14日、吉良邸に討ち入りした赤穂浪士四十七士の一人で、岡山県津山市出身の茅野和助(かやの・わすけ)(1667〜1703)の自筆とみられる遺書が同市内で発見された。討ち入りの覚悟と、残す家族への思いなどがつづられている。


 遺書(縦29センチ、横38センチ)は当初の討ち入り予定日の前日、12月5日の日付で、兄弟に宛てて書かれており、「手柄を立てて死ねれば幸せだと存じております」と、討ち入りの覚悟とともに「母上様に孝行を尽くされ、兄弟仲良く…」と、家族を気遣う文面もある。


 「(甥の)武次郎を取り立てて一人前にしたいと存じておりましたが…」と、心残りを感じさせる一文は、和助の遺書の写しが採録されている昭和6年の「赤穂義士史料・下巻」には書かれておらず、地元では真筆への期待が高まっていた。


 遺書は同市で医家を営んでいた仁木永祐(1830〜1902)の生家から発見され、調査を委託された津山洋学資料館(下山純正館長)が同市出身で東大史料編纂(へんさん)所の山本博文教授に鑑定を依頼。出身地で見つかったことや文書の構成などから「和助の自筆の可能性が高い」と判定された。


 茅野和助は津山藩の森家に仕えていた父が政争に巻き込まれて追放されたため、赤穂藩の浅野家に仕官。討ち入り時は36歳(切腹時は37歳)だった。得意の弓を持って吉良家裏門から攻め入った−と伝えられている。遺書は同館で展示されている。(記事終わり)


記事リンク
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111214-00000135-san-soci



元禄15年の昨日、吉良邸に赤穂浪士47士が討ち入りしました。


それから309年、現代まで日本人に語られている赤穂浪士の討ち入りは「忠臣蔵」として歌舞伎・映画やドラマなどで見ることができます。


今年の12月14日は「忠臣蔵」のドラマはありましたでしょうか?


「忠臣蔵」や「水戸黄門」など時代劇に繁栄されている古き良き日本人の心が年々薄れていることに危機感を覚えます。



虎は死して皮を留め人は死して名を残す


赤穂47士は、元禄16年2月日に切腹しその体は死にましたが、300年経った今でも名を残しております。



大石内蔵助の辞世の句


あら楽し 思いははるる 身は捨つる 


    浮世の月に かかる雲なし                    



自分が死ぬ前に「あら楽し」と言うようなことをとても言えるものではありません。


昔の人の生き様は、私達に人生を教えてくれているのだと思います。


ちなみに



浅野内匠頭長矩(大石内蔵助の主君)の辞世の句


風さそう 花よりもなお 我はまた 

    春の名残りを 如何にとやせん



忠義は道義であり人の道であるとある方から教わりました。


日本人が日本人の心を取り戻せますように。

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