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泣いた赤おに

つい最近知りました。


ちまたでは、「泣いた赤おに」という物語(童話?)がはやっているとか…


【物語の内容】

 山の中に、一人の赤鬼が住んでいました。赤鬼は、人間たちとも仲良くしたいと考えて、自分の家の前に、

「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」

と書いた、立て札を立てました。


 けれども、人間は疑って、誰一人遊びにきませんでした。赤鬼は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、おしまいには腹を立てて、立て札を引き抜いてしまいました。そこへ、友達の青鬼が訪ねて来ました。青鬼は、わけを聞いて、赤鬼のために次のようなことを考えてやりました。


青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。そうすれば、人間たちにも、赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう、と言うのでした。しかし、それでは青鬼にすまない、としぶる赤鬼を、青鬼は、無理やり引っ張って、村へ出かけて行きました。


 計画は成功して、村の人たちは、安心して赤鬼のところへ遊びにくるようになりました。毎日、毎日、村から山へ、三人、五人と連れ立って、出かけて来ました。こうして、赤鬼には人間の友達ができました。赤鬼は、とても喜びました。しかし、日がたつにつれて、気になってくることがありました。それは、あの日から訪ねて来なくなった、青鬼のことでした。


ある日、赤鬼は、青鬼の家を訪ねてみました。青鬼の家は、戸が、かたく、しまっていました。ふと、気がつくと、戸のわきには、貼り紙がしてありました。そして、それに、何か、字が書かれていました。


「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。どこまでも君の友達、青鬼。」


赤鬼は、だまって、それを読みました。二度も三度も読みました。戸に手をかけて顔を押し付け、しくしくと、なみだを流して泣きました。

おわり


童話作家:濱田廣介(はまだひろすけ)作だそうです。


大正時代には、唱歌が多く作られ「ふるさと」「どじょっこふなっこ」などが文部省の小学校唱歌として歌われてきました。

あらためて、おとぎばなしや童話を読むと自分が忘れていた大切なものを思い出したり、その時は気付いていなかったことを気付かされたりしました。

足柄山の金太郎では、金太郎が動物たちと仲良く遊んでいる場面で、次の言葉を言っております。

「山はみんなものだよ」

山は水を蓄え、栄養を下流や海に与え、また酸素を放出するかけがえのない存在!

山そのものの土地は所有者のものですが、そこで息づく自然の生業は決して土地の所有者だけのものではないこと。

便利な世の中になったからこそ、忘れているなにかを思い出さなくてはと強く思う今日この頃です。

誠心館のホームページに「おとぎばなし」を掲載しましたので、昔を思い出して改めて読んでみてはいかがでしょうか?

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孤独にする・成るということ

せわしなく動く世界であるように見えて、


実はのらりくらりと誰かが動くのを待つような世界である。


僕はそう感じるのです。


 


言葉とは発した瞬間に真実を失い、その説得性さえ失うものだとどこかで読みました。


ここに言葉を綴る事が何を意味するかは僕自身分からないけれど。


「物」を動かすものを原動力と言うならば、「者」を動かすのは言動力であり、


伝え続ける事の大切さは歴史が痛い程に教えてくれているのだから、


やはり僕は伝え続ける事をヤメないで生きたいと願うのです。


 


「孤独」を題名にした理由はただの思いつきで、意味などないのだけれど、


「孤独」という言葉は人生の暗い部分ばかりが連想され、「闇」を意味するように感じてしまう言葉です。


 


僕が人生に迷い、歩くのをヤメそうになった時、人生の先輩が一言。


 


 


「自分を孤独にしなさい」


 


 


どこか温かさを感じ、すっと魂に落ちる言葉だったと記憶しています。


 


例えば自分の目が肌が感じた情報を、聞いただけの誰かに、あたかも見て来たように聞かされたら。


自分にとって大きな事を、他人に小さな事と笑われたら。


 


「自分を孤独にする」


この言葉の意味はこんな日常にどこでもあるような出来事に隠されていると僕は感じました。


 


 


「孤独」とは自分を知り、見つめ、受け入れ、そして正して行く過程の中で自分自身を育てる大きな経験です。


 


「孤独」を知るからこそ、相手を知り、見つめ、愛せるのです。


「孤独」を恐れるならば、自分を認めさえ、栄誉でまみれてみればいい。


その先が暗く狭い「孤独」に繋がる事を身を以て知る事になるでしょうから。


 


「進みて名を求めず、退きて罪を避けず、ただ民を安んずるを旨とし、主君に利を為す事とする者、これを国の宝という。」


 


孫氏の兵法に書かれた言葉です。


これが「孤独」を表すとは見当違いと感じるかたも居るでしょうが、


僕にとって「孤独」を経験する事で見えて来る「悟り」の言葉とかんじました。 

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