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寄り添う

人は寄り添いながらでないと暮らして行けません。


必ず様々な人々との関係を持ち生活を営んでおります。


 


自然も同様です。


食物連鎖というとわかりやすいと思いますが、更に人が手を入れる事によって維持できる里山の自然もあります。


 


森林


木を三つ書いて森


木を二つ書いて林


木が寄り添って森林を成しています。


 


人は集落を作りそこで生活をしています。


集落が大きくなり村となります。


人口が増えると町や市となります。


 


自然も人も全く同じ摂理を基に暮らしています。


 


 


大和民族たる日本人の本来あるべき生活の姿とはいかなるものなのでしょうか。


 


日本人は、四季を愛し、寒い冬が過ぎると、桜を見て春の訪れを喜び、新緑を愛で、夏を楽しみ、紅葉狩りをしながら秋の幸を楽しむ。


特に都会に住む人達は自然を求め週末になると動き出します。


 


自然と共に歩む生活をする事を心と体が求めているのではないでしょうか。


私も里山に来る前は、週末の度に自然を求めて様々な所へ出かけていました。


今では里山に住んでいますので、あまり出かける事もなくなりました。


出かけなくても十分に自然を満喫しています。


 


寄り添うというのは人と自然も一緒だという事です。


里山の森林は人が入って手入れをしていました。人が手入れをする事で里山の自然生態系を保つ事が出来ています。しかし、里山の人口減少と高齢化により里山の森林を手入れをする人が少なくなってきました。人が手入れをすることで維持できた自然生態系が破壊されてしまっているのです。


 


植林されていても手入れのされていない森林は、山が泣いています。


重く暗い雰囲気に包まれ動物もあまり来ません。


結果的に手入れをしない事で人間が森林を汚してしまったのです。


 


歴史を辿ってゆくと、縄文時代から植林が行われていました。


栗や胡桃、漆などを植林しています。もちろん人が生活をするの不可欠なものです。縄文時代から日本人が食べているものはあまり変わっていません。山の木の実もありますが、米などの五穀、海や川の魚など、調理の方法や用具が変わっただけで食べているものは一緒です。


これらの天然自然の恵みをこれからも維持する為には、人と森林が寄り添いながら生活する事が必要です。


 


里山は人が少なくなっています。


そこに若い人が入ってくるだけでも集落が明るくなり希望も見えてきます。


そこの地域に入る事で、若者がそこを継いで行くことになります。


 


 


人と森林、寄り添いながらこれからも日本の国土を維持することを今求められています。


自然の恩恵を受け、人が感謝することで自然からも感謝をされる事でしょう。


大和民族は自然と共存する生活を営む知恵を身につけています。


それを忘れてはならないと思います。

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おとぎばなしを見直そう?

もうすぐ桜の季節です。





散る桜 残る桜も散る桜


日本の情緒を代表する花


でも、一年で花を咲かせるのはわずかな期間。


それまでは、暑い日や冬い日を耐え忍び生き物が芽吹く「春」を代表して私たちに暖かい日の訪れを知らせてくれます。


そんな、桜に近い「おとぎばなし」




はなさか爺さん

 

 
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。


二人は子どもがいなかったので、シロというイヌをとても可愛がっていました。


ある日、シロが畑でほえました。


「ここほれワンワン、ここほれワンワン」


「おや? ここをほれと言っているのか。よしよし、ほってやろう」


おじいさんがほってみると、


「ややっ、これはすごい!」


なんと、地面の中から大判小判がザクザクと出てきたのです。


この話を聞いた、となりの欲張りじいさんが、


「わしも、大判小判を手に入れる。おめえのシロを、わしに貸してくれや」


欲張りじいさんは、シロを無理矢理畑に連れて行きました。


そして、嫌がるシロがキャンキャンないたところをほってみると、くさいゴミがたくさん出てきました。


「この役立たずのイヌめ!」


怒った欲張りじいさんは、なんと、シロを殴り殺してしまったのです。


シロを殺されたおじいさんとおばあさんは、なくなくシロを畑にうめてやると、棒(ぼう)を立ててお墓を作りました。



次の日、おじいさんとおばあさんがシロのお墓参りに畑へ行ってみると、シロのお墓の棒が一晩のうちに大木になっていたのです。


おじいさんとおばあさんは、その木で臼(うす)を作って、おもちをつきました。


すると不思議な事に、もちの中から宝物がたくさん出てきました。


それを聞いた、欲張りじいさんは、


「わしも、もちをついて宝を手に入れる。おめえの臼を、わしに貸してくれや」


と、臼を無理矢理借りると、自分の家でもちをついてみました。


しかし出てくるのは石ころばかりで、宝物は出てきません。


「いまいましい臼め!」


怒った欲ばりじいさんは臼をオノでたたき割ると、焼いて灰にしてしまいました。
大切な臼を焼かれたおじいさんは、せめて灰だけでもと、臼を焼いた灰をザルに入れて持ち帰ろうとしました。


その時、灰が風に飛ばされて、枯れ木にフワリとかかりました。


すると、どうでしょう。


灰のかかった枯れ木に、満開の花が咲いたのです。


おじいさんは、うれしくなって。


「枯れ木に花を咲かせましょう。パアーッ」


と、言いながら次々に灰をまいて、枯れ木に美しい花を咲かせました。


ちょうどそこへ、お城のお殿さまが通りかかりました。


「ほう、これは見事じゃ」


お殿さまはたいそう喜んで、おじいさんにたくさんのほうびをあげました。


それを見ていた欲張りじいさんが、


「おい、わしも花を咲かせてほうびをもらう。その灰を、わしによこせ!」


無理矢理に灰を取り上げると、お殿さまに言いました。


「殿さま、この灰はわしの物です。わしが枯れ木に花を咲かせますから、わしにもほうびを下さい。バァーッ!」


欲張りじいさんは殿さまの前でたくさん花を咲かせようと、灰をいっせいにまきました。


すると灰がお殿さまの目に入って、欲張りじいさんはお殿さまの家来にさんざん殴られたということです。


おしまい

おとぎはなしを見直そう。

つい最近、二十歳前後の男性に聞きました。

唱歌「どじょっこ・ふなっこ」や「ふるさと」を知っている?と

すると、知らないという返事が返ってきました。



小学校では、ダンスが必須授業とか…




ダンスを否定する訳ではありませんが、ダンスの前に教えることがあるのでは?

おとぎばなしは、人として正しく生きる生き方が伝えられていると思いますが、大人がそれを軽視して、特に国のかじ取りをしている官僚・政治家・利権団体・官僚OBなどが自分のことしか考えていない、そんな最悪の状況を今の日本は迎えているとお聞きしたことがあります。

当たり前のことを当たり前にやることは結構難しいことで、純粋な子供からまなぶこともたくさんあると思いますし、実際にそのような場面はたくさんありました。

その子供たちの教科書「おとぎばなし」を私達大人が見直してみては如何でしょうか?














桃太郎(ももたろう)
 
むかし、むかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。すると大きな桃が流れてきました。喜んだおばあさんはその桃を背中に担いで帰って行きました。

桃を切ろうとすると、桃から大きな赤ん坊が出てきました。二人は驚いたけれども、とても幸せでした。その子は桃から生まれたので、桃太郎と名づけられました。

桃太郎はあっと言う間に大きくなり、立派な優しい男の子になりました。

ある日のことです。桃太郎は二人に言いました。

「鬼ケ島に悪い鬼が住んでいると聞きました。私が行って退治しましょう。おかあさん、きび団子を作って下さい。」

おばあさんはとてもおいしい日本一のきび団子を作りました。桃太郎は腰の袋に入れるとさっそく鬼ケ島に向けて旅立ちました。

途中、桃太郎は犬に会いました。

「桃太郎さん、袋の中に何が入っているんだい。」

「日本一のきび団子だよ。」

「僕に一つくれればお伴します。」

犬は桃太郎から一つ団子をもらい家来になりました。

桃太郎と犬が歩いて行くと、猿がやってきました。

「桃太郎さん、袋の中に何が入っているんだい。」

「日本一のきび団子だよ。」

「僕に一つくれればお伴します。」

猿は桃太郎から一つ団子をもらい家来になりました。

しばらく行くと、雉が飛んできました。

「桃太郎さん、袋の中に何が入っているんだい。」

「日本一のきび団子だよ。」

「僕に一つくれればお伴します。」

雉は桃太郎から一つ団子をもらい家来になりました。

鬼ケ島に着くと、お城の門の前に、大きな鬼が立っていました。桃太郎は大きな石を掴むと鬼に向かって投げました。

猿は門に登り鍵を開けました。

雉は鬼の目をつつきました。

「こりあ参った。」鬼は逃げていきました。

すると鬼達の大将が桃太郎の前に立ちはだかり、

「生意気な小僧。俺様が懲らしめてやる。」

と大きな鉄棒を振り回しながら言いました。

桃太郎はすばやく鉄棒の上に飛び乗りました。

「悪い鬼、村人に悪いことをしたからには許せない。私のこぶしを受けてみろ。」

「アイタタ、ごめん。ごめん。許してくれ。降参だ。」

桃太郎は鬼の金や銀や織物や、荷車一杯の宝物を手に入れました。

こころざしを はたして いつの日にか かえらん♪

唱歌・故郷の三番

志(こころざし)を はたして

いつの日にか 帰らん

山は?き 故郷

水は?き 故郷



戦後の乱開発によって、青き山は少なくなり、

河川の護岸工事やダムの設置によって、清き水はなくなりつつあります。


私たちの住む国・日本は、エネルギー資源は乏しいですが、他国にない清き水と天然自然が宝ではないでしょうか?


唱歌・故郷にある青き山・清き水を失って、かえるべきふるさと(心のふるさと)を失うということは、日本人がこころざしを失い、国が滅びることを意味しているように思えてなりません。


田中角栄元首相の「日本列島改造論」は、日本の行く末を窮地に追いやり、日本という国の存在を危ういものにして仕舞ったとお聞きしたことがあります。


昔の人は、天災が起ると人間としての奢りを反省し、自らを戒めてきたと聞きました。


東北のとある地域で、昔津波に襲われ、これより下に家を造るな子孫に伝え残し、そしてその通りにしていた地域が、今回の津波に襲われずに済んだという記事を目にしました。


しかし、テレビやラジオの報道見たり聞いたりしていても、今回の震災が人間としての奢りであるというようなことを明確に言っているところを聞いたことがありません。
ただ科学的解決だけをもとめているだけで人間の奢りなどまったくないとの前提で解明しようとしております。



「地震は天罰、津波で日本人の我欲を洗い流せ」



と石原東京都知事が言いました。


確かに、多くのい人達が震災で亡くなったり行方不明になったり、今でも苦しんでいいたりして、その人達の立場に身を置くと、とても我慢できない言葉かも知れません。





それでは、昔の日本人が間違っていたのでしょうか?





それは古いから関係ないと、本当に言いきれるのでしょうか?






震災で亡くなったり行方不明になったりした人達が本当に喜んでくれることとは何か…






今の日本の姿を疑問に思います。

「及ばざるは過ぎたるより勝れり」

連携サイトであります、美国塾より過去の記事を転載します。


http://p25w4d56.at.webry.info/200609/article_15.html


 


徳川家康の心訓の一行を紹介します。



「及ばざるは過ぎたるより勝れり」



この言葉はそのまま直訳すると、「人として出過ぎるよりは少し足りない方が良い」となります。
これを解りやすく置き換えると「傲慢になるより、謙虚な方が良い」となります。


「傲慢」と言うのは「自信」と紙一重です。


これは「自信」のある時に、人の事に耳を傾けず自分の意見や考えが正しいと思いがちになります。
これが「自信」が行き過ぎると「傲慢」となります。

「謙虚」というのは、自分自身が一歩引いて相手を立てるが基本だと思います。
これはどんな人でも自分よりも優れたものを持っていると思います。


簡単にいうと「語学が堪能」「数字に強い」「手先が器用」等です。


私は全てに当てはまりませんが、自分がわからないときは「知ったかふり」をせずに、
わかる人に教えを乞い自分自身の知識を高めて行く事を行っています。
始めは少しかじった程度の知識が何時の間に「そこそこ」の知識として役立てる事が出来るからです。

徳川家康が、戦の際に部下の武将に必ず行った事は「全ての部下に意見を聞く」という事でした。
その事により、自分の考えより良い戦術や方法があればそれを取り入れていました。

「及ばざるは過ぎたるより勝れり」とは「謙虚」さを忘れずにとの戒めの言葉だと考えます。

いつの年になっても「正直」でありたいものです。


 


この記事は5年前のものです。


 


自信というものは持つべきでありますが、それは内に秘めていれば良いだけの事です。


決して表に出さないのが、日本人の美学ではないでしょうか。


よく、テレビ番組などで様々な業種の職人の取材をしていますが、職人の殆どが自信があっても「まだまだ」と自分を下に置いています。


職人さん達が自分の仕事に誇りと自信をもっているからこそ、「今よりももっと良い物を造ってやる」という意気込みなのだと思います。


どの職種においても同様の事が言えるのではないでしょうか。


 


どうだろう、凄いだろ、と口で言わなくても、造り上げた物を見れば誰もが凄いと思うのです。


それが職人さん達の仕事なのではないでしょうか。


 


 


自分の生活に置き換えてみても、自らの考えてきた事が方向性は正しいのですが、手段などは机上の空論だったという事がよくあります。実践をする前に、様々な方々に相談をし助言や手段を聞く事で、机上の空論が修正され少しずつ本物の手段に変わってくるのです。


手段の精度を上げるには様々な方々のお力添えが必要となります。


 


困っている心、感謝をする心、これがあるからこそ、お力添えを頂けるものと思います。


 


私の周辺で自信過剰で人の意見や話を聞かない人は「頭の高い人」と言われています。


人に頭を下げる事もできず、御願いも出来ず、感謝の言葉も心から述べる事も出来ず、そのような人を差します。

人は

子供は手のひらを握って産まれてくるものだそうです。
「希望」をグッと掴みながら。



明日は今を生きる人間にとって忘れられない日ですね。



「当たり前の事」を、「当たり前だった事」と吐き捨てて行く世の中です。


古くさいと思う事、僕だってあります。
だけど大事な事を「古くさい」で片付け続けて、
僕らが孫を持つような年齢に成った時、
何を僕らは子供達に教えてあげられるのでしょうか?




都合の良い事だけを勧めて
都合の悪い事は捨てて行け




そんな大人ばかりの世の中・・・想像するだけで怖くないですか?


そんな世の中が良い方向に進むはずがありません。


 


「相手の言葉のあげ足だけを取るような心」 


「相手の悪い所だけを見る心」




「相手の言葉の意図する事を掴もうとする心」
「相手の良い所を伸ばそうとする心」



例えば自分ならどちらの心に惹かれますか?
火を見るより明らかではないですか?



「残す」という「気持ち」「心」「気合い」
今一度 一人一人が持ちませんか?



あなたが手のひらを握って産まれて来れたのは、
きっとそんな誰かが居たからではないでしょうか?


 


 


 


 


 


 


 


 


 

言葉の重み

仕事の傍ら、おばあさんと話をしました。


 


「口は災いの元」という言葉がありますが、昔は今のように情報手段が発達していないので、今で言う常識という事を全く知らない人が多くいました。


身勝手な人は、自分の思う事を相手の立場や気持ちを考えずに、結果的に傷つけるような言葉を発してしまいます。そのような人は結果的に長生きをしていなのと、その家全体があまり良い家でないというのが話を聞いて感じた事です。


 


ある口の悪いおばあさんがいました。そのおばあさんは隣に嫁いできた奥さんを何が気にくわないのか分からないのですが、いつも悪口をいっていたそうです。そのおばあさんは今でも存命していますが、施設に入り口を聞く事が出来ないそうです。


意地悪をされていたおばあさんは、面倒見の良い人でいろんな人に親切にしていますので、近くに来ると立ち寄る人も多いです。


 


親切なおばあさんは、大きな農家に生まれて子供の頃から仕事のお手伝いをしており、雇っている農夫の面倒をみていたそうです。人に親切にするのが当たり前というのを教わっていますので、大人になって嫁いできても同じ事をしているだけの事だそうです。


 


親切にしていつも人が出入りしている家にやっかんでいるのかもしれませんが、思いやりをもって良い言葉を人に対して使っていれば、自らにそれが返ってくる良い見本ではないかと思います。


 


親切なおばあさんに意地悪をしていたおばあさんは、結果として口は災いの元を実践してしまったかわいそうな人です。


 


思っていても口に出した時点で言霊になってしまいます。


独り言ならまだ知らず、相手がいて悪い言葉を使った時にはその発した言葉が原因で大きなトラブルに発展する事があります。


私は里山に来て、何度もそのような事を見てきました。


 


言葉は時にして、人を傷つけるナイフのような存在になってしまいます。


良い言葉を用いれば、ナイフではなく綿のようにやわらかく暖かく包んでくれるような存在になります。


 


良い言葉を使うようにすれば、良い流れが結果的に生まれて来るものだとそう感じました。


 

野球選手はなんでグラウンドに一礼するの?

プロ野球中継をみていると、野球選手は必ずグラウンドに入る時や出る時に一礼してます。


私は高校野球をやっておりましたが、少年野球時代からグラウンドに入る時に一礼しておりました。


でも、なんで???


柔道や剣道はやったことがないので、道場に入る時に一礼するのでしょうか?


正月恒例の箱根駅伝で、早稲田の竹澤健介選手も走り終えた後、振り返って走ってきた道に一礼しておりました。


そこには誰も人がいないのに…


心を養うというのは、こんなところにあるのかもしれませんね。

心を正す

本来であれば、御礼をすべき事にもかかわらず、自らの都合により御礼をしたくても出来ない事があります。


これは、私が今置かれている現状であります。


この事については大変申し訳なく思っておりますが、はせ参じる事が出来る時に御礼を述べたいと思います。


 


 


日本人は、森羅万象の神々様に対し、感謝の印や五穀豊穣、大量祈願等の御礼として様々な祭りという形で祭事を行ってきました。


 


私は、秋田に移住してから今までお世話になっている神社や、地元の岩川神社や房住神社等の例祭に参加をさせて頂き、日頃の感謝と御礼をさせて頂いています。


これから、更に別の地域で農地として利用させて頂く集落の例祭にも参加をする事になりました。


 


このような例祭は神社によって異なりますが、地域の人々がその地域を守護されている神々様を大切にする気持ちがあるからこそ、例祭が行われるものです。


例祭にはそれぞれの神社の歴史があります。


その昔話を語り継ぐのも、そこの地域で暮らす人の役割だと思います。


 


守護されている神々様と接するには、心を正す必要があります。


今回の例で心を正すというのは、自分自身をしっかりとさせ「神々様に対し心を以て礼を尽くす」という事になります。


 


心を正す という事を日常生活で普通に出来るようになると、様々な物が見えてきて自分の回りの環境も変わって来ると思います。


道義をもって人と接していれば、心を正している事になりますので、結果的に関係する人達から信頼と信用を得る事が出来ます。


これは自らが心を正しているので、相手がその心を正している心を感じるのです。


それが、相手にも伝わり、相手も心を正して接してくるのです。


 


その心を感じ、相手はどのような正確なのだろうかと判断をすると思います。


 


私は、神社で神々様や先祖への礼の尽くし方を学びました。


心を学ぶ事をこの誠心館で学びました。


それと同じ事を日常生活で普通に行っています。


この礼の尽くし方こそが、道義を以て心を正すという事であります。


 


わかりやすく説明をしたつもりですが、少し曖昧な表現を用いています。


自分の心を掴んでいれば、この記事の意味はある程度分かるはずだと思います。


 


心を正すには心を学ぶ事が必要だと思います。


 

空売りと企業価値

先日、株に詳しい方よりお話を伺いました。


これまで、株式のことについて無知で世界情勢、国内の情勢、企業の技術力や先進性など企業を取り巻く環境などが敏感に株価を左右することをしりました。


そのお話の中で「空売り」というものを聞きました。


これまでの認識は、株を買った人がその企業の株価が上がればその株を売り、その差益を儲けることができる。


しかし、株券を買わずに信用取引であれば、逆に売って株価が下がったところを買い戻しして、その下がった分の差益を儲ける仕組みがあることをしりました。


数年前、とある大手航空会社が経営破綻をしました。その会社は鶴のマークで有名な日本のフラッグシップと言われていた会社です。


実は業績不振にだけで株価が下がっただけではなかったことをお聞きしました。


通常、空売りすると株価が下がり下げ止まりになったところ(なりそうなところ)で株を買い戻しして、その差益を得るとのことですがこの大手航空会社の場合、その熱が加熱して、0円まで行って仕舞ったそうです。そしてその株券はパーになったとのこと。


それで、空売りしていた方々は大変損をしたとのことでした。


その話をお聞きして唖然としました。


その大手航空会社は、2009年4月30日時点で16221人の従業員がいる会社です

グループ企業やパートさんアルバイトさんを含めるととてつもない人達の雇用をがあり、その人達の生活がかかっております。

業績不振により、会社が倒産するのはこのご時世仕方ないことと思いながら、一部の信用取引より目先の利益を求める者の為にこれらの多くの人達が路頭に迷う危険にさらさせtことに、何の罪の意識を持っていないことが、驚愕でした。


この大手航空会社は国の資本が入り、現在では黒字に転換したとか。


業績不振ではなく、単なるマネーゲームのために、多く人達が生活の危機にさらされる現状について、憤りを感じました。


決して株を否定しているのではなく、株式の正しい取引によって運用されているならまだしも、マネーゲームによって多くの人達を苦しめ、場合によっては死に至らしめること、そのような状況が平気で行われていることが残念でなりません。


自分のことしか考えていない人間が、金を持ち、金を操り、人までも操る。


しかし、とある方からお聞きしました。



金は人間が作った。その金に人間が使われてどうする。

金は使うものであって、使われるものではない。




今、多くの政治家・官僚・企業のトップなど国を導く人々が金に使われて、右往左往し、金儲けの得意な某国に金を吸い上げられ、自ら自分の国の首を絞めていることに気付かず、金以上の大切なものを失っている現状に、まったく気付いておりません。


これも心低具現症候群が蔓延している結果だと思いました。

心眼(しんがん)

心眼(しんがん)は、武術を行っている人が試合で相手の間合いを読んだりするのに必要なものとされています。


 


実際には日常生活でも心眼は大変役立ちます。


 


日常会話の中で、相手の言っている事が本当か嘘かを見抜くこともできるのではないかと思います。


 


心眼は人の持つ総ての能力を総動員して見る事が必要になりますが、五感の聴覚が特に重要となってきます。


その他に必要な事があります。


 ・心を感じる


 ・気を感じる


この2つが特に重要となります。


視覚は目に見える情報ですが、私はあまり相手の顔や目を見る事はしません。


声を聞く事に集中します。


聴覚は大変重要です。目に見えなくても声色でその時の精神状態が話している本人が意識しなくても出てくるからです。よほど鍛錬している人でないと声に出てきてしまうのではないでしょうか。


 


言葉は、その人の心をそのまま表して出てきます。


言葉の内容は嘘をついていても、その時に発している言霊と心には嘘がつけないという事です。


 


自分には嘘をつくことが出来ないという事をこれが証明してしまっています。


 


これは、声を聞いていると同時に相手の心や気を感じているからです。


 


心眼というのは、相手の総てを感じ、真実を判断する事だと思います。


 


 


相手が誠心誠意のお礼やお詫びをする場合は、心が感じ取り、受け手がこれを感じ取りお礼を受け取りお詫びを受け取るものと思います。


それは、言動にも出てきており、鍛錬していればそれが直ぐにわかるようになります。


 


心眼を鍛えるには、心を磨くことが不可欠です。


また、様々な誠の積み重ねも必要です。


 


人の気持ちが分からなければ、相手に対しての発言もできず、その言葉が付け焼き刃であったり、机上の空論であったりする場合があるからです。


 


 


私のお世話になっている人で、病気が原因で視力が殆ど失われてしまった人がいます。時々光を感じる事が出来るか出来ないかというような感じだそうです。


仮にAさんとします。


Aさんと私と会話をすると、電話や直接お会いして会話をしても、一瞬で双方の精神状態がわかってしまいます。


これは、お互いの声色を記憶している事もありますが、それ以上に心がお互いを気遣い、心の声を相手に送っているからです。


ですので、第一声でわかってしまうのです。


これは、Aさんと会話をしているうちに私が気がつかない間に身につけていたものです。


 


 


最近、初めてお会いした人と意気投合するような事が増えました。


初めはどのような人なのかな?と感じます。


相手も同じでしょう。


会話を進めて行くうちに、お互いに興味や利益があるような内容になると、心が近づいてきます。


これは、相手を利用してやろうとかそのような利益ではなく、この人は努力をして苦労している事が会話の中から汲み取る事が出来るからです。


考えや志なども、会話の中身から判断をしてゆきます。


会話をしながら「今後もご縁がありそうな人」だと心が感じると、相手も同様に感じる事になります。


これの繰り返しで、私は様々人達と協力をしながら事を進める事が出来ています。


その時に、このような人と縁が持てて良かったと感謝をしています。


 


信用と信頼というのも重要な事です。


話をしていると、心がその人を信用出来るか否かを判断します。これは知らず知らずのうちに行っている行動です。


信用出来るとなると、少し踏み込んだ話をする事になります。


人生経験において、信用と信頼が出来る人なのか出来ない人なのかを判断しますが、これが誠の積み重ねだと思います。


 


 


このように、心眼は、その人のもつ総てを動員して見る、真実を見極める眼力であります。


心眼の力が強くなればなるほど、良い人と縁を結び、善悪の判断を付ける事が可能になります。


素直な心でいればこそ、心眼は研ぎ済まれて鍛えられてゆきます。


 


これからの日本の将来を背負って行く人は、この心眼を鍛える事が不可欠だと思います。

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