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心低愚現症候群と私

以前、心低愚現症候群についてUPさせて頂きました。

心低愚現症候群…日本人としての心が著しく低下し、愚かなことが正しいことだと思っていること

唐突ですが、私自身のことを記載したいと思います。

私は、普通の小・中・高の学校を出て理系の大学に行きました。

大学に進みたいと思った理由は、特にやりたいことが見つからず、国語や社会よりは数学や物理がおもしくて、点数もそちらの方がよかったので理系の大学を希望し、大学に進みました。

大学に行ったはいいですが、授業は難しくて殆どついていけず、一応卒業は出来ましたが順位は140人中下から3番目位の成績で卒業しました。

就職活動をしましたが、これといってやりたいことが見つからず、ズルズルしているうちに活動期限が来てしまうため、当時、理系はあまり就職をしない物流の世界に行きました。

会社を決めた理由は、人事の人とうまがあったからというのが一番の理由で、特に何かその会社で、大学で学んだことが生かせるかというと、そんな自信もありませんでした。

しかし、高校を卒業し、大学を卒業し、就職してからもずっと心の中に思っていることがありました。それは自分の天職とは何ぞや、天職に就けばもっと充実した人生を過ごせるのではないかと、強く思っておりました。

その会社には4年間務め、その後浄水器の代理店みたいなこともやってみましたが失敗し、貯金も底をつき、すっからかんでその仕事を辞めました。

その最低な状況の時に、とある先輩からアメリカに留学をした時の話をお聞きしました。

それまでの自分は、無意識にアメリカに対して憧れをもち、アメリカには夢があり、世界をリードするような正しい国で、希望が満ち溢れるような国だというイメージをもっておりました。そして、日本人であることを卑下しておりました。
日本は、戦争を起こし、他国を侵略し、それは全部日本が悪いんだ、アメリカは正しいんだという意識が心の中にありました。

その先輩は、アメリカに留学した時にアメリカ以外から来た留学生と仲良くなったそうです。そしてその友達から、こう質問されたそうです。

「○○(先輩の名前)、日本という国はどういう国だ」

先輩は、答えられなかったそうです。というのは、その質問した仲間たちは何のためにアメリカに来たか、明確な目標を持って来ていたからだそうです。

ある一人のベネズエラの友人は、自国の歴史を語り、「俺の国は貧乏だから、俺がアメリカで技術を学んで、自分の国に持って帰り自分の国を豊かにしたいと…」

先輩は、その言葉を聞いて恥じたそうです。

私は、外国には旅行でしか行ったことがなく、そのような他国の歴史やその国の人の人柄と心交わる接触をしたことがなかったので、先輩の話は非常に衝撃的でした。
そして、その先輩から言われたのは南京大虐殺があったかどうかの話をお聞きしました。中国の南京には南京虐殺の資料館のような建物があるらしいのですが、その資料館には虐殺当時の映像が流れているそうです。その映像はカラーで放映されているのですが、当時日本軍はカラーで映像を録画する技術がなかったそうです。

何故、カラーで映像を残せる技術のない日本が虐殺の様子をカラーで残すことができたのかを先輩から言われ、ハッとしまして、今まで教わった自分の国のことを改めて調べてみようという気持ちにかられました。

そして、渡部昇一の「かくて歴史は始まる」の書籍を読み、同じく「日本史快読」や前野徹さんの書籍などを読んでいくにつれ、自分が今まで認識いていた日本という国が全然違う国であったことに気付きました。

それは、大東亜戦争が決して日本だけが悪かったのではなく、西欧・アメリカ・ソ連なども当時は侵略を常識としていたことを知ったり、日露戦争での日本軍が他国から称賛されるような規律があったことなど、今まで知りえなかったことを知りました。

そうしている中で、自分が日本人として恥じるのではなく、日本の国は素晴らしい国と思うようになりました。しかし、決してすべてが正しく素晴らしいということをいっているのではなく、世界に誇れる日本人の先輩が多くいて、世界に誇れることがたくさんあるんだということに気付きました。

すると、現状の他人の迷惑を顧みずりふり構わぬ風潮や、私も以前そうでしたが損と得だけしか考えない、また勝ち組(お金持ち)・負け組(貧乏)という社会の勝手な位置づけに憤りを感じるようになりました。

私は、今現在日本人として愚かな行為をまったく行っていないとは言いきれませんが、そのような行いをしないよう私達の先輩達が残してくれた日本の文化の素晴らしさ、武士道、礼節などの生き方を学べれば思っております。

日本人として誇りを持てる、そして先輩達が残した日本の文化を知りたいと思っている今の自分は、目先だけで生きている人から見れば馬鹿に見えるかもしれません。

しかし、自分の心を失わず、お金や社会的地位にとらわれず、一日一日を精いっぱい過ごせた時、充実している自分に気付かされました。

まず、自分には心があること、そして人にも心があることを知り、日本人として誇りを持てるようになれば、今まで他人に防御線を張る為に頭で考えていた自分とはおさらばできるのでは、言いかえると一日一日充実した人生を過ごせるのではないかと思っております。

長くなって申し訳ありません。自分のことを記載してみました。あしからず。

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まどろっこしくてすいませんでした。

ひんしゅくさん>
あらためて定義を論じて戴きましてありがとうごさいます。

『正義』とは言葉遊びで使わせて戴きました。
犠牲(ぎ・せい)と言われていたので、逆に『せい・ぎ』と。つまり天秤の片側を犠牲とするならそれなりの逆側、大義名分と言ったらおこがましいと思いましたので、逆だけに言葉も逆にして『せいぎ』としたんですが、『犠牲を伴ってでも行うべき事』と言う意味で使わせて戴きました。

で、私はまだ犠牲を伴ってでも行う事が見えない、また何かを行うにしても、別の何かを犠牲にまではしたくはない(すべきではないのか?どうなのか?)、という所にいます…と言う風に解釈してください。
犠牲と言いましても些細な事から苦痛を伴う事まで、人によって多々解釈があると思いますが、私の言うそれは後者の方と解釈ください。

私の質問が少しまどろっこし過ぎたせいで、ひんしゅくさんを混乱させてしまった事と思います。申し訳なかったです。反省しています。
私が本当に伺いたかった事…それは、『えっ!? ひんしゅくさん、心底愚現から覚めたってホントに!?』と言う所でした。
この症候群を伺った時、私は大体2通りの解釈があると思っていました。
ひんしゅくさんの例題にあった様に『ふぅ~ん。っで?何?』と何も感じない人や自分は違うと思う人。もう一方は『うっ…イタイ…』と自分の足元を見る人ですね。
私は後者だったので、その気持ちは分かりますし、イタイと思ったので覚める様努力をしております。前者に関しても、なんとなく分かります。それは発信した側の伝え方にも影響を受けるとは思いますが、あまり日々疑問を持って生活していない方なのではないか、もしくは自分の足元を見れない人だと思っております。
ですが、ひんしゅくさんは『以前も私はそう(症候群)でした。』とされていました。
つまりは、自分はもう覚めた上で、症候群を論じ、その疑問を発信した訳です。
私としては3通り目の出現となり、驚いた訳です。そしてちょっぴり疑ってみたりしちゃった訳です。さらには、その真理を知りたくなった訳です。ですが、単刀直入に質問してしまうと、ちょっと失礼かなぁ…と思い、少しまどろっこしくして仕舞いました。ごめんなさい。怒んないでね。ただ、内容としましては、必要悪だと考えての質問だと思っています。

さて、今度はこれを読んでいるだろう方々に是非伺いたいのですが、
『私はもう覚めた』と言う方、レス戴けると嬉しいです。
『知っていて~  覚めてないのは~ 俺だけだ~ 』……と言う危機感もありますので。


更新が早い事に関して。
申し上げた通り、更新する事はいい事と思っていますし、
逆にレスがなかったとしても、私はちゃんと毎日読んでますよ……と言う事を汲んで頂ければと言う所です。

勝体臭さん。

私は人のことを言うほど立派ではありません、が、心低愚現症候群についてあえていうのであれば、

①心低愚現症候群の「心」という字が入っておりますが、心とは、

富士山を見て感動した、ある女性を好きになったなど、理屈や根拠ではないものが人にはあって、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという感情は誰にでもあるのではないでしょうか。

それを、なぜ富士山に感動するのか、なぜある女性を好きになったのかなど、言葉は悪いのですが一々理屈付けしてもしょうがないと思います。

まず自分の心があることを、みずから認識しているかどうかだけのように思います。

②それでは、心低愚現症候群の「低」について日本人としての心が著しく低下していると定義されておりますが、

自分の国のことを自分で卑下する馬鹿な国はそれほど多いとは思いません。
特に私達を教育した人たちやマスコミなどの周りの環境は、日本はひどい国と教えてきましたし、実際そう思っておりました。

反省することは大切だと思いますが、失敗があるから改めるわけで、何故失敗したのか、本当に相手(連合国)が正しかったのか、冷静に分析する必要があるにもかかわらず、「悪い・悪い」という偏ったことを教えては、正しい解決やしんから改めることができないのではないかと思います。

人にもし良心があるなら、他人を傷つけて喜んでいる馬鹿はおりません。

良心を形成するには、自分の両親・祖父母、ひいじいさん、ひいばあさんの生きた時代の真実を見る必要はありますが、否定する必要はないと思います。

「正義」という言葉は違うように思えてなりません。

また、ブログの更新スピードですが、自分で自分に言い聞かせるためにブログを更新していることもあるので、あしからず。

正義と犠牲

ひんしゅくさん>
いやいや、ちぃと拡大解釈されています。
確かに、自分を律すれば何か犠牲が出てくるものかもしれません。ですが、私はまだまた律すべき程の正義が確立されておりません。故に、何かを犠牲にしてでも貫き通す事が出来る正義を求めているのです。
それを欲するが為、自分の愚を疑っているいると言う所です。
つまりは、心底愚現症候群と言われる所からら抜けだした先に、自分を律すべき正義、同時に犠牲にすべきものがあるのではないかと考えております。

そこで逆に伺わせて戴きたい。
私の思うように、症候群を抜けた先に、正義と犠牲はありましたか?
それとも私の思い違い!?


所で、最近チィと新しいスレットを立てるの早くないですか? いや、非情にいい事と思うのですが、レスポンスがおっつきません…。ちゃんと読んではいますので、気長にお待ち戴けると嬉しいです。

何ゆえに自分を正そうとするのか

勝体臭さんのように、自分を律することを大切にする人は少ないと思います。

何か理由があるから自分を律するのではないかと思います。
たとえば、偉い人になりたい、親からそのように教育を受けた、自分を失いたくないなど、いろいろな理由があると思います。

しかし、自分を律するには何かを犠牲にしなければなりません。

自分を犠牲にできるといえば、自分のことでなく家族であったり、両親であったり、孫であったり、恋人であったりと誰かの為というのが本質ではないかと思っておりますが、勝体臭さんはいかが思いますか?

しかし、国の為に自分を律する明治、大正や昭和の苦労を背負われた人たちは本当に素晴らしいと思います。

ありがとうございました!

歴史を掘り下げ、事実を探究する事で自分の民族としての誇りを取り戻し、さらには心の低下を防いだ…と言う所で疑問の余地はありません。
ただ私としては、若干この症候郡へのアプローチが違いまして、ある点から解けると言う所で解釈していません。私の解釈としては『心の在り方』であり、当然我々のルーツである真の歴史を知る事もそれを確立させる重要な所ではありますが、それより寧ろ、常に自分の『愚』を意識・認識し、心が低下しない様に努める所にあります。つまり日々の生活の戒めのような言葉として解釈しています。
こう考えてしまうと、歴史の真実を知った上でも『愚』はありますので、
治る治らないと言う所ではなく、常に意識を置くという所になります。
自分が治っているのかどうなのか、『愚』を現実として認識していないか、それを常に自らに疑いを持ち続ける所がこの言葉の意図と解釈しております。
『常に自分が正しいと思わない様にする』という所です。

そう言った訳で私自身はまだ解かれたとは言い切れず、それが解けたと言うのなら、そのヒントを掴みたく経緯を質問させて戴きました。
お忙しい所長きに渡って経緯を綴っていただきまして有難うございました。

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