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注意しよう

教育委員会という行政機構について。
上記機関は、当該自冶体の教員の人事を含め教育機関をオーガナイズする目的で設置されてます。首長部局とは仕組み上独立した機関であり、委員長の選任には議会の承認が必要です。先般某知事から、「テストの結果が悪いのは・・・」と断罪されたことがありました。

注意事項を申し上げます。
いったい誰が責任を負うのか。
この機関は住民の税金を原資としております。この一言で言うと、機関は教育の向上を任務としております。負託にこたえられなかった場合、責任をとることは必定です。全国一斉試験で、結果が向上せず責任をとった委員はいますか。私は知りません。現場の校長の中には「君が代」問題で自殺に追い込まれた方もいますが、その上層部が責任をとった話は知りません。
教育委員長・教育長は歳費を得、(常勤の教育長はそこの自冶体の一般行政職のトップクラスの歳費)先生の人事を統括します。優秀な人材を集めることができれば結果が出ます。
実態は、その職には教員退職者が教育委員長・教育長に就任し、地域によっては情実人事が横行したりします。昇進、採用について収賄事件があったのは最近の話です。
子供が就学中の家庭では先生のことが話題になることはありますが、それ以外の住民には注目されない機関ゆえ、監視の目も薄く、退職教員の天下り先のようになっている実態に注意する必要があります。先生のレベルも大事ですが、低いレベルや問題教員を飼っている教育機関には何かがあります。
20年、30年後は今の小学生が中核となる世の中です。
「私は教育委員会を注視している」と言ってしまいましょう。
組合や教員OBではなく、誰か一般人が言わなければ彼らの内輪のものにされます。
御注進申し上げます。


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皆様から色々勉強させて頂いてます。

教育再生委員会さん>
いやぁ~聞けば聞く程どうしょうも無いですねぇ…。当然そんな教育機関へメスを入れなければならないとは思いますが、学校作った方が早いような気がします。現実的に学校を作ると考えると……なんてスレッド立ててほしいです。

ひんしゅくさん>
あっ!すいません。
法の事はごもっともと思います。ありがとうございます。
ですが、法はとりあえず置いておいて、『現在の教育機関』そして『その教育に影響を受けて育っている若者の判断』と言う様な所で議論したかったんです。ホント私の文章はわかりずらい様で、最近反省しっぱなしです。とほほ。

学校作りた~い!

勝体臭さん。どうもです。
 
 先生が「答えを出してはいけない」というのは、その時私が感じた事は、上から止められているということです。

 何故なら、普段その先生の家に遊びに行ったりしますが、その先生には女の子が2人いて、悪いことをすると叱っております。


 叱るということは、悪いこと(してはならないこと)だからとうことを先生が認識していている証拠です。また、その人柄からすれば、生徒に立派になってほしいということを伝えたいという思いは、私には伝わってきます。

 そんな普段を見ながら、先生の授業を見たので、子供たちに考えさせることも大切ですが、そこはまだ中学生ですよ!中学生!

 正しいこと悪いことの認識はさせなければ、何を基準に考え・判断すればいいのか、子供ももわからないと思います。


 子供の自主性という大義名分がよくつかわれますが、子供の人格を大切にしても、悪いことは悪いと教えなければ、「これもやっていもんなんだ」と勝手に解釈して、立派な大人にならないと思います。

 
 そのことを立証しているのは、官僚ではないでしょうか(一部の官僚です)。成績優秀・学術優秀で天下の東大を出た人が、それだけの頭脳を持ちながら、出世して様々な権限を持つようになると、昨今横領や賄賂などで逮捕されております。

「頭がよけりゃいいということではない」ということをこのような人達が証明しているのではないでしょうか。


 勝体臭さんのお知り合いの出版社の方が、東大出身とのこと、前例を参考にするのは大切に思いますが、もしその議論が法律のことであれば、何故その法律が必要になったのか、そしてその法律は何を戒めているのか、追及すると

「法は法のためにあるのではなく、人間のためのほうである」という道理に行きつくのではないでしょうか。


だって、昔はそんなにたくさん法律があったわけではないのですから。

教育指導要綱

>勝体臭さん
日本の学校は、文部か科学省が定めた教育指導要綱というものを基本に進められております。
ですので「答えを出さない」いうのもその一環だと推測されます。

先生も答えを教えたくても教えられない、又は先生も答えをどのように教えたら良いのかの判断が付かないという事になります。

教育委員会の所のコメントの通り、イレギュラー指導を行い万が一問題が発生した場合に責任を回避したいので面倒な事はやらない、という指導方針がありますので、教育指導要綱時代も一旦白紙に戻す必要があります。

教員という職業は独特の世界があり、接しているとわかるのですが、一般常識がかけている人が多いのが特徴です。
若くして「先生」と呼ばれている事がその原因の一つかもしれません。
先生も成長するのに20年程度の職歴がないと一人前として認められないようです。

どの世界もそうだと思いますが、工夫をしたり苦労している先生ほど、その人にあった的確な答えや助言をしていると思います。

道徳専門の教師はいないと思われますので、この辺も今後の課題となりそうです。

学校でも作りましょうかね?

ヤマト宅急便さん(かな?)>
ありがとうございます。色々勉強になります!
最後に『道徳科目の…』とありますが、現在そう言った専行の教師はいるんですかね? 小学校以来そういった授業を受けた記憶がないのですが。確か、中学に上がった時は『公民』だったかな?記憶が怪しいです。
私自身、それらの時間は『休み時間』の様に考えてましたね。実際教師の方々も何をやっていいのかわからなかったのかも知れませんね。
地道に道徳の重要性を訴えて行くしかないんですかね。
現在の教育機関には属さない、独立した学校を作る……夢の様な話しですが、それが一番の近道の様な気がします。

ひんしゅくさん>
『答を出してはいけない』とは、その先生の信念に基づく所なんですかね?それとも上からのお達しですかね?
要するに『考えさせる事』が大事で答は人それぞれでいい…と言う所ですかね。
それとは逆に、生徒達はその本質云々と言う事より寧ろ、問に対しての『正解』のみを機械的に求めている様な噂を耳にします。 貴方の好きな事をやってみなさいという先生の投げ掛けに対して、何をやれば『正解』なのかを悩んでしまう…とか。

先日、東大の法学部を卒業しているのに、ある出版社の一般雑誌編集部員をしている若者に何故そう進路を取ったか質問しました。
答はこうでした。
「与えられた問題に対して、過去の例を集めて、これが近いんじゃないか?と論議するんですが、集めた例にも与えられた議題と全く同じ例などあるわけがないので、導き出した答もツジツマが合っていないんです。数学の様に決まった答があるわけではないもどかしさに…違う(自分の目指すべく方向ではない)と感じました。」
とまぁ『法学』という事で、かなり話が難しなってしまうとは思いますが、『現在の教育』と、『その教育を受けて育って来た若者』と言う視点で見ると、なんだか不思議に感じてしまいます。

実際の中学校の教育現場

 以前、とある中学1年生の道徳の時間に、授業の見学をさせて頂きました。


 内容を簡単に言えば、仲間3人がいてそのうちの一人がもう一人のものを盗んでしまい、何も関係してない最後の一人が貴方です。あなたならどうしますか?という疑問を投げかけておりました。

 生徒はそれぞれ「注意する」「何も言わない」「黙って見過ごす」など様々な意見です。その授業の先生は、生徒達の意見を聞き、抽象的な言葉で、授業を進め、最後に感想文を書かせました。

 私は非常に疑問に思いました。先生は「悪いことはしていけません」と正面切って言いませんでした。「仲間だから注意する」、「その大切にしている仲間が同じ仲間に悪いことして注意して、その人が改めなければ仲間で無くなる」という簡単なことを何故生徒たちに教えてあげなかったのか。

私は、授業が終わって数日経った頃、その先生に質問しました。

「あの授業では生徒たちはいろんな意見を出してたけど、何で悪いことは悪いと言えなかったのですか?」

「子供たちに真剣に考えさせて答えを出さないなんて、馬っつらにニンジンと同じじゃないですか?」

すると先生はこのように答えました。
「私達は答えを言ってはいけないのです」と…それはどうやら先生方の暗黙の了解のようです。


私は呆気にとられました。その先生は子供たちに対して真摯に向き合う、心の豊かな先生だと尊敬しておりますが、そんな人でも答えを言ってはならないという現在の教育現場がいかにおかしい状況かを知りました。

他の中学校が同様かどうかはわかりませんが…


答えを知っているからこそ「先生」であり、生徒の個々の人格の形成を助けるのは、子供の周りにいる大人達ではないかと。

子供に身近な先生が、悪いことは悪いと言ってはいけないような教育現場にしている、馬鹿どもに心から憤慨しております。


それじゃ生徒は何がよくて何が悪いか掴まずに学校を出るのも同然で、中学生という不安定な時期に、まともなことを学ぶことができないと、大人になった時にどんな大人になるか大変不安です。

私が中学生の頃は、もう少しましでした。悪いことすれば、先生から「げんこつ」時には「ピンタ」が飛びます。廊下にも立たされましたし、下校時間に掃除をさせられている友達もおりました。今思うと、それは「怒る」のでは「叱る」だと思っております。


 ことの良し悪しを学ばなければならない子供たちに、手を加えてみているだけの状況を生んでしまっている問題がどこにあるのか、教育委員会に原因があるのか、PTA(親)に問題があるのか、それとも教育基本法に問題があるのか、日教組に問題があるのか、これからの子供たちのことを思うと、残念でなりません。

 何とか打つ手はないのでしょうか?

どこかで聞いたような感じ

教育委員会のことはあまり知りませんでした。

大分の教員試験のニュースはひどかったと思います。

先ほどわが県の教育委員会のホームページを見ました。教育委員会は合議制で教育委員6名を構成し、議会の承認後首長の任命を受けて教育委員が選任されるそうです。

その下の方々の人事などは分かりませんが、表向き議会の監視状態にあるようです。

しかし、何だかんだと言って官僚主体の組織のように思えました。

官僚政治に血が通っているように感じないのは私だけでしょうか?

一般者の監視について大いに賛成です。

教育の改革の要

教育委員会は都道府県と市町村それぞれに存在します。

都道府県は都道府県立の高校等が主に統括しており、市町村は小中学校を主に統括しておりますが、総統括は都道府県の教育委員会にあります。

神奈川県の場合、長年の間数学系の教師の派閥により統括されているのが現状であり、それ以外の文系(国語や社会)等の教科の先生は全く入る事の出来ない領域であると聞いていております。

数学系の教師の特徴として「答えを求める」「はい 又は いいえ」と、はっきりとしており、人事異動や考慮に対し規定に当てはめ、全く融通の利かず臨機応変の対応を取る事が出来ない為に、強い部活が衰退してしまったり、せっかく創り上げて来た学校の良い特色が失われていってしまっております。

更に市町村でも、その教育長の出身科目により出世が決まってしまう現状があります。
それは、体育系であれば、体育教師が校長になっている事が多く、国語であれば国語と、その市町村によって特色が出ています。

教育長や出身教科によって、全くその地域の教育方針が全く異なるのが現在の学校教育の現状であります。

道徳科目出身の先生が教育長になった時に、学校教育が変わるかもしれませんね。
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