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保科 正之

現代の日本人で、徳川家康、織田信長、勝海舟、坂本龍馬、二宮尊徳 等は有名で、
上杉鷹山も最近いろいろと本が出てきて有名になってきました。
しかしながら、
日本人で、この人「保科正之」の名前を知らない人はかなりいます。

この人がどんな人物であったか考えたいと思います。
まず、有名な事は当時会津藩の藩主であり、家訓に徳川幕府に
忠誠を尽くすことを残した話です。それにより、幕末 松平容保が最後まで幕府を守ろうとした事に繋がっていきます。

保科正之についてこれ以外でも現代の経営・政治について学べることはかなりあると思います。

皆様から、この保科正之に関して、「〜のような事をしたひとです。」等の投稿をお待ちしております。
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会津藩家訓

会津藩家訓に次の言葉が残っておりました。

若し志をうしない 

遊楽をこのみ 馳奢をいたし

土民をしてその所を失わしめば

すなわち何の面目あって封印を戴き

土地を領せんや必ず上表蟄居すべし


今の政治家にこの志があるか?

水戸光圀とも交流が

水戸光国とも交流があったんですね。幕末で松平容保を逆賊扱いされましたが、水戸学も知っている会津藩が天皇家から逆賊扱いされることがおかしかったんですね。。
松平容保も保科正之から受け継いで尊王思想が根付いていた事は事実なのですから。。

会津より愛をこめて

会津藩を取り上げて頂きありがとう御座います。
正之公は非常に律儀で、慎み深い君主。ご自分が将軍家の血筋であり、将軍家より松平姓を名乗ることを許されながら養子先である保科家の恩も考え、保科姓をなのったのでした。

当地域の有名人

初めて投稿させていただきます。
高遠では、保科家の善政は有名です。しかしながら、その後の藩主は良くなかったので、歌にも「いまの高遠でたてられようか はやく最上の肥後様へ」と、残っております。
これは、最上(今の山形県)へ正之公(肥後の守)が御移りになった後に、高遠の領民が口づさんだ歌との事です。

有名ですけど!

保科正之公 を知らないなんて、逆に聞き返してしまいます。(失礼)この人居ないと幕末は語れませんからね。
今流行の坂本龍馬だって、いなかったかも???ですね。
治水にも尽力されましたね。
実は幕府で家光のNO.2だったことも。。。

二代将軍秀忠の落し子

実は、正之は 将軍のめかけの子でしたね。高遠藩3万石、保科正光の養子となり、高遠藩藩主として若き日を過ごし、山形藩20万石へ移りました。
3代将軍家光とは兄弟であり、当時かなり幕政にも協力したとの事。

続きは誰かお願いしますね。
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