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硫黄島の不思議な出来事?

硫黄島の不思議な出来事?


引続き、硫黄島での不思議な出来事を掲載させて頂きます。


掲載された方の文章をそのままのせておりますので、ご了承下さい。


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実体験ですが、数年前の夏無事に定期便も終わり硫黄島から厚木の帰り便大きな荷物もなく便乗者は海保職員1
天候晴れ、風微風。定刻に離陸なのですがいつもより滑走距離が長い、Pも変だナーという顔。
夏の日差しの機内ほど程よい温度で弁当の後、やることもないので機内でお昼寝。
しばらくして人のざわめきというかひそひそ声でふと目がさめ機内を見回しても海保さんが寝てる姿しか。
改めて寝直すと「これで国に帰れる」「友軍機が来てくれて助かった」とはっきり。
流石に目が覚めて後部貨物室を見回してもなにも。。。。
海保さんもやや青ざめた顔で「聴きましたか?」と2人そろって前に逃げ込んでPにその事を報告。
Pが「それで重かったのか、お盆も近いし」と。その後何事もなく厚木に。
機体点検をしてると耳元ではっきりと「連れて帰っていただき有り難う御座いました!」


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こういう話も。YS-11Mはもうよぼよぼの機体であっちを直すとこっちが壊れるというような機体で整備員泣かせですが、
厚木から向かった機がハイドロ漏れを起こしどうやっても治らない。
Pと硫黄島管制が戻るか戻らないという話を始めた少し後に漏れがぴたりと止まった。
この状態ならと言うことで硫黄島に到着。
エンジン部分を開けて点検をすると当該ハイドロポンプの漏れていた配管箇所に手の跡がくっきりと。
このときのPは霊の類は信じない人でしたが、それ以来、硫黄島に行くたびに慰霊碑に手を合わせるようになったそうです。


?硫黄島の高松宮殿下〈初出・『明日への選択』平成10年2月号〉
『高松宮日記』全八巻の完結を前に、『This is 読売』
一、二月号に連載された高松宮妃殿下と作家の阿川弘之氏の対談の中に、初めて紹介されるエピソードがある。
昭和四十六年三月、高松宮殿下が硫黄島戦跡をご訪問になった時のことである。
硫黄島は大東亜戦争末期、米軍七万五千の猛攻を、二万余の日本軍将兵が祖国防衛のため、一ヶ月以上に渡って奮戦し玉砕(全滅)した島である。
戦後、昭和四十三年まで米国の管理下にあったため、殿下のご訪問当時は、まだ未整理の洞窟があり、遺骨はそのまま散乱していたという。
殿下が先ずお訪ねになったのは、米軍の火焔放射器でやられ、ブルドーザーで生き埋めにされかけ、苦しみもがきながら脱出を試みた兵隊たちが、折れ重なって死んだ跡地だった。
「前もっての説明何もなしで洞窟の前へ立たれた殿下は、ハッと息を呑む気配をお見せになり、やがて地べたに正座し、両手をついて首を垂れて、暝想状態に入られた。
一言もおっしゃらないから、何を念じていらっしゃるのか祈っていらっしゃるのか分からないけれど、随行の者みな、電気に打たれたような気分だったと聞いております。
大分長い時間そうしていらして、やっと立ち上がられた」
次にお訪ねになったのは、遺骨の整理が既に済んでいる壕だった。
とはいえ、拾い尽せなかった骨もあり、至る所に散らばったままの骨片もあった。
仕方なしに海上自衛隊駐屯部隊の隊員も、ふだんは靴で遺骨を踏んで歩くようになってしまっていたという。 
「ところが、殿下はためらわれた。そうして、つと靴を脱ぎ靴下も脱ぎ、素足になって、骨片の散らばる洞窟内へ入って行かれた。
私も知ってますが、硫黄島という名前の通り、あの島の壕の中にに地面から硫黄のガスが噴き出しているんです。
そこを素足で視察した人は、後にも先にも高松宮様お一人だそうです」
(以上記事終わり)


上官の命令で「死してもその地を守れ」との命令もあったそうです。
フィリピン・ルバング島に終戦後29年間いた小野田少尉も、上官の命令があって初めて帰国されたそうです。

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